詩吟朗詠錦城流・
詩吟朗詠錦城会の沿革
 
明治39年(1906)
流祖・山元錦城(本名・益満ミツエ)鹿児島にて生誕。
大正8年(1919)
13歳で琵琶の名手・樺島旭蘭に入門。
その後、筑前琵琶の宗家・橘旭宗に師事、日夜、技量研鑽に励む。
昭和時代(1926~)
その芸術性が高く評価され、琵琶奏者・山元旭錦の名で、多くのラジオ番組に出演。
日本の伝統芸術の演者達と共に、伝統芸能紹介の使節団の一員として渡米。
戦中といえども琵琶を片時も離さず、子弟の指導と、更なる研鑽に励み、兵士へ芸能慰問団の一員として訪中し、中国で終戦を迎える。
昭和21年(1946)
中天津より引き揚げ、鹿児島に帰郷。
琵琶絃から離脱して独立することのできる詩吟朗詠に新たな道をつくるべく模索をはじめる。
昭和29年(1954)
筑前琵琶の奏者山元旭錦は、「詩吟朗詠錦城流」ならびに「詩吟朗詠錦城会」を創設し、名も山元錦城 (錦城流の流祖)と号す。
昭和52年(1977)
流祖・山元錦城 逝去。
天皇陛下より、本名・山元ミツエに対し、勲五等宝冠章及び勲記が授与される。
錦城流の流儀は現宗家が流祖の意志を引き継がれ、二代目宗家を襲名する。
流祖 山元錦城
流祖 山元錦城
平成2年(1990)
社団法人格を取得し「社団法人詩吟朗詠錦城会」となる。
平成24年(2012)
行政改革の一環としての社団法人改革法等により、4月1日付けで「一般社団法人詩吟朗詠錦城会」となり、現在に至る。
二代宗家 山元錦城
二代宗家 山元錦城